ショパンは1810年~1849年の39年間の間200曲以上を作曲しています。その中でも、恋をした時につくられた曲って気になりませんか?
ピアノの詩人と呼ばれるショパンの恋と曲について、まとめてみました。
最初の恋人 ポーランド人コンスタチア・グワトコフスカ (歌手)
ショパンの別れたい時の持ち出す口実 ・・・作曲に注ぐべきエネルギーを奪われそう
マリア
1935年夏 ショパン25歳 旧知の間柄だったヴォジニスキ家の娘 マリア(16歳)と再会し交際したが、これによりショパンは消耗、深刻な病にかかる。(またはそう見せかけた)ワルシャワの新聞は早まってショパン死亡記事を掲載。マリアには、片時も離れない付き人がおり、大人の関係には進まなかったと言われている。そして1937年、自然消滅している。
- 葬送行進曲(ピアノソナタ第2番変ロ長調) ・・・憂鬱な気持ちから生まれた
- 別れのワルツ(Op69-1) ・・・別れる時に捧げた曲、その後別れの場面で繰り返し役立っており、将来の女友達への贈り物用にとっておかれた
葬送行進曲(ピアノソナタ第2番変ロ長調) 反田恭平
別れのワルツ(Op69-1)
ミエチュスワフ・ポトツキ伯爵の若い婦人 デルフィーナ・ポトツカ (旧姓コーワ)
1837年(ショパン27歳頃) デルフィーナと交際
デルフィーナ・ポトツカと交際 伯爵と離縁したデルフィーナは分け与えられた資産を元にサロンを開く。彼女は気品美しさを持ち合わせており恋人も次々と変えていった。詩人、画家、彫刻家、伯爵、公爵、そして、ショパンとも交際した。ショパンは、デルフィーナに恋文を書いている。ところどころ抜粋してみると
■きみと恋にどっぷりつかっていてもうながいい間一曲もつくっていない、日の目を見たかもしれない作品は永遠に君の小さなDフラットに埋もれてしまった。
■またきみの変二(D♭)長調の小さな穴にあれを落としたいんだ。
D♭の意味とは、白い鍵盤の間の黒鍵、Dふらっとは、ドイツ語でDes。地方方言の発音では性器の意味にもなる。
ショパンが恋に溺れていたのだろうと感じます。ショパンはデルフィーナに恋御布ワルツを献呈しました。ショパンが滅多に使わない調 二長調(Dふらっと)の子犬のワルツ
- 子犬のワルツ(Op64-1)
ジョルジュサンド
1838年~(ショパン28歳~ ジョルジュ・サンドと9年間交際
ジョルジュサンドは美人ではなかったが、強烈な個性がある女性。未婚の母
1836年秋(ショパン26歳頃)デルフィーナと交際前に、すでにジョルジュサンドと出会っている。ジョルジュによる策で出会っており、のちにサンドはショパンを落とそうと決めた。ジョルジュサンドの説得により、ショパンは、デルフィーナ、そしてこの時にまだ正式に婚約していたマリア・ヴォジンスカとのことを終わりにし、サンドと交際した。
1838年ショパンの結核は思わしくなく休暇をとった、ショパンの病気は悪化していき、結核の感染をおそれ悪運を運び込むと信じた余暇先の島人は高額な値段で食料を売ったり、冷たくされたりと不快な状況下であった。
- 24の前奏曲 ・・・ アプライトピアノ
- スケルツォ嬰ハ短調
- ポロネーズハ短調 Op40-2
24の前奏曲 プレリュードOp28
スケルツォ嬰ハ短調
ポロネーズ ハ短調 Op40-2
次第に、ショパンとサンドはこの悲惨な休暇により関係性が破滅。互いをいつ殺してもおかしくない状態にまで陥った。ショパンは、サンドの息子と娘をかわいがってきたが、この頃息子は逆いはじめた。そして娘はショパンの味方につき、ショパンはサンドの娘(ソランジュ)に恋するまでになっていた。母娘が和解不可能なほどのけんかをしたのは言うまでもない。
サンドと別れ、結核はさらに悪くなる一方
スコットランド女性のジェーンスターリング
サンドと別れた後、衰弱するような恋愛、こじれた男女関係には近づかなかったようである。
ジェニーリンド(歌手)、スコットランド女性のジェーンスターリング と親しく付き合った。彼女はショパンを熱愛したが、ショパンは退屈していた。
- 二つのノクターン Op55 をスターリングに捧げている
ノクターン 55-1
ノクターン 55-2
ショパンの直弟子 リンゼイスローパーの生徒 ジェーン
ショパンに恋したが、結核が重くなりすぎて恋に発展せず
ショパンの恋と名曲 まとめ
ショパンは女性に対して飽きっぽく、愛の行為を疲れると感じ、作曲に注ぐべきエネルギーを奪われると感じていた。
そんなショパンも病気を抱えながら恋をし、時には溺れ、傷ついたり、憎んだりとその中で名曲を残しています。
別れる時には別れのワルツを捧げる・・こんなロマンチックな別れがあるでしょうか。音楽家ってすごいですね。